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執筆者の写真Nobuo Ishimori

持ち込みゼロ

更新日:2020年10月10日

「殺処分ゼロ」

今や、どこでも言われています。

公的機関が動物を殺処分する、ということは、動物愛護の点で問題があるだけではなく、税金の使い道としても、それでいいのだろうか、という気がします。

私のように動物愛護家でない者からみても、何も生み出さない不毛なことだと感じます。

殺処分は、できるだけゼロに近づけていく努力が必要だと思います。


とはいえ、行政が、単に「持ち込まれた動物を殺処分しないことに決める」というだけでは、根本解決にはなりません。

持ち込まれた動物を殺さないためには、公的機関としては誰かに引き取ってもらうしかありません。そうでないと、抱える頭数が増え続け、限界を超えたら、再び殺処分せざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。

実際、多くのボランティアさんが、命を守るために、公的機関から動物を引き取っています。

では、ボランティアさんは、いつまでも引き取り続けなければならないのでしょうか。


ここで、「動物の愛護及び管理に関する法律」を見てみます。

第一条(目的)「この法律は、(中略) 人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。」

なかなか崇高な理念ですね。


とても大切な点なのですが、「人と動物の共生する社会」とは、みんなで動物を可愛がる社会のことではありません。

そりゃそうですよね。動物が苦手な人だっていますしね。

私だって、犬も猫も特別に好きなわけではないし・・・(犬は少しだけ苦手)。


さて。

もうちょっと詳しく第一条を読むと、「愛護に関する事項を定め」「管理に関する事項を定め」「もって人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。」と書いてあります。

「愛護」と「管理」です。

つまり、動物を命あるものとして尊重するだけでなく、同時に、動物が原因で人間社会に支障が生じることのないように適正管理する、ということです。

この両輪が揃って、「人と動物の共生する社会」です。


動物を命あるものとして尊重していないからこそ、「もう飼えない」と、安易に公的機関に持ち込もうとする訳です。

動物がきちんと管理されておらずトラブルになっているからこそ、「迷惑だ」と、公的機関に持ち込もうとする訳です。


税金を使って殺処分したり、あるいは、殺処分しない代わりにボランティアさんが引き取ったりしているのは、共生できていない社会のひずみの「尻拭い」です。


愛護と管理の両輪が整えば、公的機関への動物の持ち込みは減るはずです。

そうすれば、大変な苦労をして走り回っているボランティアさんもいらなくなります。


だから、私は、「殺処分ゼロ」というよりは、「持ち込みゼロ」を目指すべき、と考えています。


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