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執筆者の写真Nobuo Ishimori

「何かを愛する気持ち」と「猫の魅力」

更新日:2020年10月10日

前回の続きです。


私にとって、命の尊さとは、私にとって相手がどのような存在なのかで決まる、極めて主観的なものだと書きました。

私にとってかけがえのない、家族や、家族同然のオカメインコが亡くなったら、心に大きな穴が開きます。

一方、遠い国の会ったことのない人が、どれだけ悲惨な事件で亡くなったといても、人生を揺さぶられるような悲しみに襲われることはありません(大きな社会問題として認識することはあると思いますが)。


ところが、この極めて主観的な価値は、同時に普遍的でもあると思うのです。


自分にとっての、かけがえのない大切な存在。

その存在を愛する気持ち。

親が子を思う気持ち。

子が親を思う気持ち。

大切な友を思う気持ち。

家族同然のペットを思う気持ち。


それは、誰にでも覚えのある思いです。


もしも、辛く苦しい人生の中で、そのように思える存在が周りにいなかったとしても、それでもその人は、愛する相手を探し続けて人生を歩んでいるのではないでしょうか。


どれほど不器用な生き方をしている人も、心の奥底では、誰かを愛したいと願っているし、誰かに愛されたいと願っています。


その感情に覚えがあるならば、誰かが愛している存在について、たとえ自分自身はその存在に特段の思いはなくとも、想像力を働かせて、「この人にとっては、かけがえのない存在なのだなぁ」と、その人の「愛情」に共感できます。


身近な存在へのごく自然な愛情。

この「身近な存在への愛情」は、価値観の違いによって分断されている我々をつなぐ、唯一の架け橋であり、希望なのではないか、と思っています。


ところが、ここで、大きな問題があります。


親、兄弟姉妹、友人など、大切な人に対する愛情は、大半の人に経験があるので、とても共感を得やすいです。

一方、動物に対する愛情は、動物に特に思い入れのない人には、共感を得にくいです。


思い入れのない人には、どれだけ説明されても、動物の魅力は分かりません。

なぜそう言い切れるのかというと、私自身がそうだからです。

飼い主(あるいはボランティアさん)は「うちの子」「この子」と呼びますが、動物に関心のない人にとっては「犬」「猫」です。


どれだけ一所懸命に、動物の魅力をアピールしたとしても、動物の良さは、経験したことのない人には伝わりません。


生まれつきの性格、という面もあるかもしれません。

私は、物心ついたときから、犬や猫はどちらかというと苦手でした(今はだいぶ違いますが、それでも、愛護家からは程遠いです。)。

ウチの息子は、物心ついたときから、何も教えていないのに犬や猫が大好きです。


それでは、「うちの子」「この子」と呼ぶ人と、「犬」「猫」と呼ぶ人との分断を、乗り越えていくことは不可能なのでしょうか。


私の考えでは、不可能ではありません。特に猫の場合は。

それを解くカギは、猫の独特の魅力にあります。

つづきは、次回に・・・。


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